楽天 bクラス なんj
東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、英語: Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属している。, 宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある楽天生命パーク宮城(公式略記は「楽天生命パーク」「楽天生命」)を専用球場(本拠地)としている。, イースタン・リーグ所属の二軍の本拠地は、同県宮城郡利府町にある楽天イーグルス利府球場と、仙台市泉区のウェルファムフーズ森林どりスタジアム泉である。, 球団名が長いことから通称は楽天イーグルス。球団略称は楽天または東北楽天[注釈 1]、法人名は株式会社楽天野球団(らくてんやきゅうだん)である。, 6月に明るみに出たオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、本拠地を神戸市または大阪市とするプロ野球参入の意思を表明[3]。この時点では根来コミッショナーは「参入は時間的に難しい」と述べていた[4]。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)[5]とする新球団の加盟を申請した。, 10月13日、初代監督に田尾安志が就任することが発表される[6]。10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した[7]。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された[8](プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、オリックスと近鉄の選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定[9]。「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の世界遺産・白神山地に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で、「ゴールデンイーグルス」となった[注釈 2]。なお、戦前に存在した球団である「イーグルス」とは一切無関係である。, 11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議に参加。明治大学の一場靖弘を自由枠で獲得したことに加えて、大学・社会人球界から「即戦力」になりうる6名の選手を指名した。さらに、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。ドラフト会議で指名した選手のうち、東北に唯一縁のあった5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)は、現役引退後の2018年に一軍のコーチとしてチームに復帰。いわゆる「松坂世代」に当たる6巡目指名の平石洋介(トヨタ自動車)は、現役引退後もチームに在籍したまま、一軍・育成コーチや二軍監督を経て一軍の監督代行を経験し、2019年には楽天の生え抜きとしては初の監督に就任。, チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう、2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始した。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権は二軍のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。, また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化。仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(ただし二軍本拠地は変更しない)。, 新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた[10]。, 2月1日の沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。2月26日、新大分球場にて球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦が行われ、4対3で勝利した。オープン戦は16試合で7勝8敗1分だった[11]。, 3月26日にパ・リーグ公式戦が開幕し、楽天は球団として初の一軍公式戦となる千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発の岩隈が完投し3対1で勝利した。球団創立以来一軍公式戦で1試合も戦っていなかった球団が、球団創立以来一軍公式戦で戦った経験のある球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、日本プロ野球史上初めてのことであった。, だが、翌3月27日の第2戦は打線がロッテの先発渡辺俊介の前に1安打に抑えられ、2リーグ制開始以降としては最大得点差の0対26で一軍公式戦初敗戦を喫した(当該試合記事参照)。その後4連敗し、4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回先頭打者の礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の一軍公式戦本塁打を放つなど、16対5でチームは開幕戦以来のシーズン2勝目となった。しかし4月15日の北海道日本ハムファイターズ戦から29日の西武戦にかけて11連敗で、勝率が2割を切る[12]。このため、4月30日にGMのマーティ・キーナートをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、またヘッドコーチの山下大輔と打撃コーチの駒田徳広を二軍にそれぞれ降格(替わって二軍監督の松井優典と同外野守備・走塁コーチ橋上秀樹が昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。, 5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位に終わった。7月には10勝9敗1分けで球団史上初の月間勝ち越しを記録したものの、8月にはシーズン2度目の11連敗[注釈 3][13]を喫するなどして、8月29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年における8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。9月25日のホーム最終戦(ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表された。最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)だった。開幕前からささやかれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差を付けられた。2リーグ制以降の新球団の初年度の成績としては最低の勝率となった[14]。チーム最多勝は岩隈の9勝で、その次は福盛和男の4勝など戦力的に他球団と格段の差があった[13]。分配ドラフトの仕様など、最低限の戦力の保証が一切無かった事が大きく響いてしまった。, 弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズからセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。, オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム、香川県営野球場、静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合が組まれた。, リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。, 3月25日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈が故障のため、前年2勝止まりだった一場が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。交流戦では5月25日のヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でリック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫した[12]。最終成績は17勝19敗で7位。後半に入ると、8月20日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)でリーグ戦初の同一カード3連勝。9月以降の成績を9勝10敗1分としたものの、9月23日の西武戦で開幕から5位以上となることなく[13]2年連続最下位が決定[12]。最終成績は47勝85敗4分で、5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。ホセ・フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。, 9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大を1巡目で指名した。日本ハム、オリックス、横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。, 3月24日の開幕戦のグッドウィルドームの西武戦で岩隈が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日のオリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にフェルナンデスと山﨑がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日から19日のソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。5月には、山﨑が球団初となる月間MVPを受賞。, 7月2日にオールスター戦で8選手がファン投票で選出され[12]、田中、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部、山﨑と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、監督の野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハムの監督のトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。, 8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め[12]、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シーズン対戦成績で勝ち越している。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打108打点の成績で本塁打、打点の二冠王となり、田中が球団初の新人王を獲得。, 楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻り、日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。, 3月20日の開幕戦のソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回裏に逆転サヨナラ3ラン本塁打を打たれて敗れ開幕から4連敗するが、その後7連勝で4月3日のロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)[12]。6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。シーズン途中で前日本ハムのフェルナンド・セギノールを獲得し、打線強化を図る。だが8月以降も岩隈が奮闘するものの負けが込む。シーズン最終戦となる10月7日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP、沢村賞、ベストナイン(投手)に選ばれている。そしてセギノールも低迷するチームの中で大きく奮闘した。, シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。, 1月にメジャーリーグベースボールのオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日のオリックス戦と翌24日の西武戦)。, 4月3日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝[15]で4月15日まで首位に立ち、一端首位から落ちたものの[13]初めて4月を首位で終え[16]5月11日まで首位だったものの[13]、交流戦では6連敗するなど最終的には9勝15敗の10位。打線の軸として期待された中村紀やセギノールも開幕から低迷し、二軍落ちするなどの誤算もあり7月も8連敗するなど低迷は続く。しかし、8月以降の3カ月で38勝21敗と勝ち進み9月12日のソフトバンク戦では球団史上初となるクライマックスシリーズ進出のマジックナンバー19が点灯し[17]、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた[18]。同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し[19]、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井怜)が二桁勝利を挙げた。, 10月12日、野村は球団から監督退任を通告される[13]。10月16日から行われたCSの第1ステージはKスタ宮城でソフトバンクと対戦し2連勝で第2ステージ進出[20] するものの、札幌ドームでの日本ハムとの第2ステージは第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け[21]。第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退[22]。CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任[23]。, 後任の監督に、この年まで広島東洋カープ監督を務めたマーティ・ブラウンが就任。野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)[24]。, スローガンは「Smart & Spirit 2010 Eagle Fire! また、パ・リーグでは他にロッテ、日本ハム、西武も平日デーゲームを組むようになった。, ちなみに、本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代 - 1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合やプレーオフ(パ・リーグ)、日本シリーズでも行われていた。, これとは別に、2015年5月21日(木)の日本ハム戦は「第1回楽天イーグルス花火大会[159]」を試合終了後に行う予定であるため、通常より2時間早い16時からの薄暮デーゲーム開催とした。, これは、近接の仙台市陸上競技場のトラックから約2000発を打ち上げる花火大会そのもののほか、イーグルスが翌22日からの西武戦の会場・西武プリンスドームへの試合終了後の直接移動が可能であるという点も含めた総合的な判断で薄暮デーゲーム開催とした。長時間の試合であっても、若干の規模縮小などが生じるものの花火大会を開催できるように配慮した時間設定をしたものだったが、試合が延長戦にもつれ、試合開始から5時間が経過した21時を過ぎても試合が続いてしまう状況となってしまった(結局延長12回・5時間37分もかかる大乱戦となり、試合終了が21時40分を過ぎてしまっていた)。そのため周辺の騒音や選手の翌日の試合会場への移動(特に楽天の選手はこの試合終了後に予定していた西武プリンスドームへの直接移動ができなくなった)などを考慮して、この日の花火大会とそれに付随したAUN J CLASSIC ORCHESTRAによる音楽ライブの開催を断念せざるを得なくなった。, なお花火大会の代替日程は5月21日時点では未定であったが、あるファンから「花火を見たかった」という声をかけられた球団職員は「代替開催ができるように検討していく」としている他、立花も「残念すぎる。今日(21日)のお客様方に何らかの形で対応できるように考えたい」と延期開催の可能性を示唆するコメントを残している[注釈 22]。, この後、5月29日に、この第1回花火大会の「リベンジ」延期開催を、7月11日にデーゲーム(14時)開催で行う予定としているオリックス戦で改めて行うことを発表した。この日は3000発の花火を打ち上げる予定にしているが、今回は長時間開催や荒天時の対応もはっきりと明示しており、, と記載されている[160]。そして7月11日のデーゲーム終了後、無事に花火大会は開催され、試合を観戦した人など市民約15000人が集まった[161]。, 2016年の開幕戦・ソフトバンク戦は、開幕戦のデーゲームとしては48年ぶりとなる薄暮デーゲーム[注釈 23]として16時から行われる。[162]これとは別に4月1日の西武戦も13時から実施され、またアウェーに出ての3月29・30日のロッテ戦(QVCマリン)も13時開始と、ナイター設備が整った近代において開幕当初の8試合がデーゲームという異例な日程となった(このほか4月12日の千葉ロッテ戦もデーゲームであったが、この時は残り2連戦はナイターだった)[163]。, 地域密着を目指すという観点で、[要出典]イーグルスでは2軍の主本拠である利府町中央公園野球場(楽天イーグルス利府球場)のほか、地方遠征(主に2軍)を開催する岩泉球場・しらさわグリーンパーク・湯沢市稲川野球場を初めとした東北地方16か所(2014年2月現在)の命名権を持っており、それぞれ「楽天イーグルス○○球場」「イーグルス○○球場」という名称を使用している。, これはイーグルスが2007年9月から取り組んでいる「フィールドサポートプログラム」という制度によるもので、東北地方各地の「野球競技を実施できる野球場」を対象として、球場を保有する地方自治体などと協議したうえで愛称を設定するが、通常の命名権のようなチーム名称・ロゴの使用のためのロイヤリティーは発生しない[164]。, 基本コンセプトを「地域と球団間における野球普及・促進に向けた協力活動」の一環[164]として実施しており、これらの野球場では2軍(イースタン・リーグ)公式戦の開催(硬式球が使用できる球場のみ)のほか、年1回以上「イーグルス野球塾」と題した少年野球教室の開催などを通して、地域の野球振興に寄与し、また地元でのイーグルスの応援を高揚させるという目的がある。, 地震による甚大な被害を受けた東北地方の人々を励ますべく、1995年の阪神・淡路大震災時のオリックス・ブルーウェーブが用いた「がんばろうKOBE」にあやかって作られた言葉。2008年の岩手・宮城内陸地震と2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)において使用され、ユニホームの袖部分にもこのフレーズが描かれたワッペンが貼り付けられた[注釈 24]。, 2014年には、個人を対象に、「FAN'Sデー」期間中(4月18日 - 20日)に楽天イーグルス利府球場で主催するイースタン・リーグ公式戦3試合の命名権を1試合3万円で販売[165]。3試合とも完売したため、当該カードの試合前には、命名の対象者による始球式などのセレモニーを実施した[166]。ちなみに、個人に対する球団主催公式戦の命名権販売は、NPBの球団では初めての試みである。, 上記とは別に「藤崎青葉通り店」、「仙台駅店」、「盛岡店」も設けられていたが、閉店[169]。, 2014年の公式戦開幕日(3月28日)からは、球団直営のスポーツラウンジ「T.R.G.E.(TOHOKU RAKUTEN GOLDEN EAGLES OFFICIAL SPORTS LOUNGE)」を、仙台市の繁華街・国分町2丁目のエーラクフレンディアビルの1階にオープン[170]。東北楽天戦をはじめ、テレビのスポーツ中継を見られるスポーツバーで、アルコール飲料も有料で提供する[171]。2017年2月22日をもって営業を終了。[172], 1正式なクロスネット局ながら、NNNフルネット局(NNNのニュース番組は全て同時ネットのため)、ANNには報道部門のみ参加。2FNN/FNSとのクロスネット局(資料によってはNNN、FNNのみの加盟と記述してあるものもある)。3FNN/FNS、ANN(報道部門のみ加盟)とのクロスネット局、NNSには非加盟。4加盟局が運営・出資する衛星放送(CSチャンネル)。2021年現在では日本テレビのみが運営・出資している。51996年10月1日開局、2000年9月30日閉局。6太字はNNN・NNS双方に加盟。細字はNNNのみに加盟。7旧NTVは2012年に現NTVに放送免許を譲渡。8加盟当時はSKT静岡県民放送。9CTV開局後はNNSのみダブルクロス。10母体新聞社及び加盟局と友好関係のある新聞社。, シーズン2度の11連敗以上は1956年に12連敗を2度喫した高橋ユニオンズ以来、日本プロ野球史上2度目だった。, 字幕はJ SPORTS側で用意したものを使った以外、基本的に球団製作のものを使用。ただし同時ネットで放送するTwellV・, 交流戦ビジター試合は1球ごとのリアルタイム中継ではなく、「EAGLES BASEBALL TALK SHOW」としてゲストを招いてのトークショーをメインとしながら、試合経過を随時速報で伝える内容であった。, 24時間放送は2015年10月10日より開始。開局時は6:00 - 翌1:00 の1日19時間放送であった。, クリムゾンは2013年より導入。2014年まではシルバーとバリューの間に「ブロンズ」が設定されていた, 楽天以外の関東の一部球団についても、平日のナイターをデーゲーム(薄暮開始含む)に移行したり、巨人・西武のように4月中の本拠地主管試合開催を断念した球団もある。, デザインは、ホーム用がえんじ色地に白枠、その中に白文字で。ビジター用は、白地にえんじ色の枠、その中にえんじ色の文字で「がんばろう東北(東と北の文字の間に帽子にも使われるEマーク)」。, ホーム用とはちがう字体で、旧ユニホームの字体に近いが細部が異なるものとなっている。, http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20150521-OHT1T50264.html, https://web.archive.org/web/20131002094302/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/04/07/kiji/K20090407Z00001340.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/04/30/kiji/K20090430Z00001190.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/09/12/kiji/K20090912Z00001040.html, “球団創設5年目でついに…楽天にCSマジック19 CS進出決まった!楽天14点圧勝”, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/03/kiji/K20091003Z00001270.html, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/10/17/kiji/K20091017Z00000450.html, 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モンキーズ」の全株式譲渡に向けた基本合意書を締結”, https://corp.rakuten.co.jp/news/press/2019/0919_01.html, https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091801133&g=spo, http://www.nikkansports.com/baseball/news/202009100001197.html, “楽天が球団通算1000勝 浅村3発含む4安打7打点、トレード加入ジョンソンが1回3人ピシャリ”, https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/09/22/kiji/20200922s00001173195000c.html, 2020シーズンから選手が着用するホームとビジターのユニフォームが決定!|東北楽天ゴールデンイーグルス, 【2018シーズンスペシャルユニフォーム発表】TOHOKU PRIDEユニフォーム2018・FANS'ユニフォーム2018, 【2019シーズンスペシャルユニフォーム発表!】TOHOKU BLUEユニフォーム・FANS'ユニフォーム2019, https://twitter.com/Rakuten__Eagles/status/1015580951777239040. 今、広島は何年連続でBクラスなん? 26 ... 1995年 ダイエー 5位 2005年 楽天 6位 1996年 ダイエー 6位 2006年 楽天 6位 1997年 ダイエー 5位 2007年 楽天 4位 . gyao!ストアでは、映画、ドラマ、アニメ、バラエティー、ドキュメンタリー、パチンコ・パチスロ、グラビアなどの動画を配信中。最新ヒット作からマニアもうなる名作まで続々と配信中です。 楽天イーグルスラジオ「EAGLESTATION」英語放送を加えて二ヶ国語放送開始! 」。(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。, 3月20日、開幕戦のオリックス戦(京セラドーム)に1対0で敗れ[25]、その後チームは4連敗[26]。交流戦は12チーム中第5位(3位と同率も前年度順位が考慮された)となったが、この年の交流戦は上位6チームをパ・リーグが独占。そのためリーグでの順位が浮上することはなかった。交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位になって以降は1度も順位を浮上させることができず[12]、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定した[12]。開幕から1度も勝率を5割に乗せることができず、最終戦績は62勝79敗3分で優勝したソフトバンクとは15ゲーム差、5位のオリックスとは7.5ゲーム差。ホームゲームの平均観客数も前年より1000人近く減少。こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウンの監督解任を発表[27]。, ブラウンの後任に、中日ドラゴンズ、阪神タイガース元監督で阪神シニアディレクターの星野仙一が就任した[28]。, メジャーリーグ経験者の岩村明憲や松井稼頭央を獲得。また、ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍を表明していた岩隈も入札で独占交渉権を獲得したオークランド・アスレチックスとの交渉が決裂し、球団に残留。キャプテン制度導入に伴い、鉄平が球団初代キャプテンに就任した。チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。, 当初、3月25日のKスタ宮城でのロッテ戦で創設以来初の本拠地開幕戦を迎える予定であったが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でKスタ宮城が損壊したことにより、開幕戦が延期となった。この日、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中で、選手は全員無事であった[29][注釈 4]。13日に練習再開[31]、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い[32]、関西などを中心に開幕までの練習を行い[33]、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている[34][35][36]。4月2日・3日には12球団によるチャリティー試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。このとき嶋基宏が、「見せましょう野球の底力を」とスピーチした。4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野監督は「遅くなってすみませんでした。ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している(この真っ最中にも強い余震が起きた)[37]。4月11日にはフアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された[38]。, 一方で、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ[39]、修復工事が必要となったことから、一時的に関西で主催試合を代替で行うことになった[注釈 5]。この年のセ・パ両リーグの開幕日は4月12日に延期。同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦[40]、主催試合初4月15日からの阪神甲子園球場[注釈 6]での対オリックス戦[41]。そして、本拠地・Kスタ宮城での初戦は宮城県が「震災復興キックオフデー」とした4月29日対オリックス戦となり[42]、いずれも勝利した。, 4月を9勝6敗で2位で終えたが5月は7勝14敗2分と負け越し、岩村や鉄平が打率1割台で低迷、岩隈が18日離脱した事が原因とされ、18日には5位、翌6月4日には最下位となっている。交流戦も9勝13敗2分の9位と低迷した。一方で田中が6、7月に連続して月間MVPを受賞するなどの活躍もあり[注釈 7]、7月には永井怜が故障で離脱したものの、岩隈が復帰、ダレル・ラズナーが抑えに転向し5セーブ、新人の塩見貴洋が2勝を挙げるなどもあり、12勝10敗1分と勝ち越す。8月、前半に7連敗するも、後半に球団タイの7連勝もあり勝ち越す。しかし9月は8勝14敗と失速し、終盤までクライマックスシリーズ進出争いには加わったものの10月13日に進出の可能性がなくなり[12]、最終的に66勝71敗7分、首位のソフトバンクと23.5ゲーム差、3位の西武と3ゲーム差の5位となった。統一球の影響もあり、本塁打は球団最少の53本で、7月から8月にかけ17試合連続で無本塁打の球団ワースト記録。ヤフードーム(11試合)と札幌ドーム(8試合)においてはそれぞれ本拠地球場となってからはパ・リーグ球団初の本塁打0に終わっている。田中が最多勝、最優秀防御率、最多完封の三冠王とベストナイン及びゴールデングラブ賞の投手部門を獲得した。なおこの年は、山﨑が戦力外通告を受け退団している[44]。, 3月30日、球団初の本拠地開幕戦となるロッテ戦が行われたが、3対5で敗れている[45]。交流戦は10勝14敗で9位。オールスター直前までの前半戦を40勝38敗3分の3位として、球団初のAクラス、勝率5割以上で折り返すが、後半戦に入り8連敗を記録するなど順位を下げる。9月を勝ち越して終盤までソフトバンク、ロッテとクライマックスシリーズ進出争いを展開するが、10月4日の139試合目の対西武戦(Kスタ宮城)で引き分けて[46]Bクラスが確定した。最終戦のロッテ戦(Kスタ宮城)に勝利[47]し、67勝67敗10分で、首位の日本ハムと7.5ゲーム、3位のソフトバンクと1ゲーム差の4位に終わるが、3年ぶりにシーズン5割以上の成績を残した。, 8月1日付で元球団会長の三木谷浩史が球団オーナーに復帰し、球団社長には証券会社勤務だった立花陽三が就任した[48]。, シーズンオフにはMLB・ダイヤモンドバックスからFAとなった斎藤隆を獲得し[49]、岩村明憲に戦力外通告[50]。また、現役メジャーリーガーのアンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーを獲得したことが発表された。野村名誉監督も任期満了で同職を退任した[51]。, チームスローガンは「Smart & Spirit 2013 HEAT!」[52]。, 開幕投手と見られた田中がWBCでの疲れから辞退したことで[53]、開幕戦のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は則本昂大が新人投手としてはパ・リーグ史上55年ぶりの開幕投手となるが1対7で敗れている[54]。4月27日の西武戦(西武ドーム)に9対2で勝利し、球団通算500勝を達成[55]するが、序盤から5割前後の成績で4月を9勝13敗と負け越し[56]、5月3日には借金が4になるが[12]、その後は勝ち星を伸ばし、交流戦はソフトバンクと優勝を争ったものの[57]、0.5ゲーム差の2位に終わった。7月4日に首位のロッテに勝利し、6月以降では球団初の同率首位に並ぶと[58]7月6日に単独首位に浮上[59]、前半戦をそのまま首位で折り返し[60]、以降は首位を明け渡すことはなく[14]。8月28日に球団史上初の優勝へのマジックナンバー28が点灯した[61]。その後9月1日にはマジックが消滅するものの、9月5日に再点灯し[14]、9月22日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に15対1で勝利し、4年ぶり2度目の2013年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ進出が決定し[62]、9月23日の同戦で球団新記録のシーズン78勝とした[63]。そして優勝へのマジック2で迎えた9月26日、マジック対象チームのロッテが対日本ハム戦(札幌ドーム)で敗れ、楽天が対西武戦(西武ドーム)で4対3で勝利したことで、楽天球団初のパ・リーグ優勝が決定した[64]。球団創設9年目での優勝は日本プロ野球史上5番目のスピードでの達成[14]。, クライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では3位のロッテと対戦し、4勝1敗で日本シリーズに初めて進出[65]を決めた。巨人との2013年の日本シリーズでは、3勝2敗で王手をかけた第6戦で2対4で敗れ、先発の田中がこの年シーズンから通じて初めての公式戦で敗戦投手[注釈 8][66]となりタイとされるが、11月3日の第7戦(Kスタ宮城)に3対0で勝利し、4勝3敗で初出場で初の日本一を達成した[67]。同月、台湾で開催されたアジアシリーズでは、11月19日の準決勝の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦(台湾・中華職業棒球大聯盟)に1対4で敗れたため、日本からの出場チームでは初めて決勝に進めなかった[68]。, 田中が8月に開幕からの公式戦連勝と、前年8月26日からの公式戦連勝の日本プロ野球新記録を樹立[69]、シーズン後にはこれらの記録とポストシーズンの2勝を含めた30連勝がそれぞれギネス世界記録に認定された[70]。24勝0敗1セーブで日本プロ野球史上初のシーズン無敗での最多勝を達成[71]、最優秀防御率と勝率第1位も獲得し、沢村賞[72]、MVPを獲得した。チームからはゴールデングラブ賞は3人[73]、ベストナインには4人がそれぞれ選出、新人王に則本が選出された[74]。11月24日、優勝パレードが仙台市内中心部で行われ、約21万4千人の観衆を動員した[75]。, 1月23日、田中がポスティングシステムでMLBニューヨーク・ヤンキースに移籍[76]。5月26日、星野監督が腰痛のため、対ヤクルト戦(神宮)で休養し、投手コーチの佐藤義則が指揮を執った[77]。5月27日に腰椎椎間板ヘルニアおよび胸椎黄色靱帯骨化症と診断された星野監督の休養と、佐藤投手コーチが監督代行をつとめることが発表された[78]。7月2日、監督代行に大久保博元二軍監督がつき、佐藤は一軍投手コーチに専念することになった[79]。7月24日より星野が監督に復帰[80]するが、チームは低迷し、9月6日にはリーグ優勝の可能性が消滅し[81]、9月18日に星野監督が退任を発表[82]、9月29日にはBクラスが確定[83]、10月7日の対オリックス戦(コボスタ宮城)に敗れ、最下位が確定した。なお前年優勝チームの最下位は前年の日本ハムに次いで史上5度目[84]。10月14日、次期監督に大久保二軍監督の就任を発表した[85]。, 8月、コボスタ宮城の全面増築が完成、先行完成(3月)した楽天山観覧席と、8月に完成した3塁側上段の増設席を合わせ28,907人収容となった効果もあり、8月30日の対ソフトバンク戦において、レギュラーシーズン・ポストシーズンを通して当球場歴代最多となる25,308人を集客[86]したのを皮切りとして、観客動員記録を次々更新。最終的には1,450,233人(1試合平均単位で20,142人)の球団新記録を達成した。このうちコボスタ宮城に限れば67試合で1,350,293人(1試合平均20,153人)をマークした。[87], 前年まで監督を務めた星野がシニアアドバイザーに就任する一方で、2013年から4番打者として君臨していたアンドリュー・ジョーンズが退団。ジョーンズに代わる現役メジャーリーガーとして、ヤンキースからゼラス・ウィーラー、ピッツバーグ・パイレーツからギャビー・サンチェスを獲得した。シーズン開幕直前には、前年にオリックスの主力として活躍したウィリー・モー・ペーニャも獲得することで、打線に厚みを増させた。投手陣は、抑えの切り札として広島東洋カープからキャム・ミコライオを獲得したほか、2013年まで在籍していたレイとハウザーが復帰。ドラフト会議では、高校生ながら最速で157km/hを記録した右腕投手の安樂智大を1巡目指名で獲得した。, 開幕以来なかなか波に乗ることができず、ソフトバンク・日本ハム・西武の3強の後塵を拝する状態が続いた。交流戦では全18試合のうち2点差以内は15試合、延長戦は5試合と粘り強く戦い、10勝8敗の4位で終え2年ぶりに勝ち越した[88]。交流戦のチーム防御率2.47は12球団トップであった。交流戦以降はロッテと4位・5位を争い、前半戦を5位でターンした。後半戦に入り、7月22日の日本ハム戦で1試合の最多得点での球団新記録となる19得点を記録したが、7月30日に田代富雄一軍打撃コーチが退任した。シーズンの途中でハウザーが再び退団したことからトレードおよび新外国人選手獲得期限日の7月31日には、アガスティン・ムリーロを獲得している。しかし、8月25日のオリックス戦に敗れたことで最下位に転落した[89]。その後は一時5位に浮上したものの、8月28日の西武戦に2-3で敗戦。この敗戦によって自力でのクライマックスシリーズ進出の可能性が消滅した[90]ことから、大久保監督が辞任の意向を示した[91]。その一方で、9月7日には、星野前監督が取締役副会長に就任することを球団が発表された[92]。星野球団副会長は、「球団の編成・ドラフト戦略・経営にも関与できる現場の総責任者」という立場で、三木谷オーナー・立花社長に次ぐ権限を有するようになった[93]。9月22日のロッテ戦に敗れてクライマックスシリーズ進出の可能性が完全に消滅し、2年連続のBクラスも確定したため、大久保監督は同日に成績不振の責任を取って監督を退任することを正式を発表した[94]。終盤はオリックスと5位の座を争ったが、10月3日の対ロッテ戦に敗れたため2年連続での最下位が決定した[95]。シーズン通算では57勝83敗3分(勝率.407)という成績でパ・リーグの全チームに負け越した。チーム打率、防御率、得点はいずれもリーグ最下位で失点もリーグ最多を記録。その一方で、主催試合のシーズン通算観客動員数は歴代最多の1,524,149人に達した。, なお、球団創設メンバーで唯一の現役投手・小山伸一郎、地元・仙台出身でチーム最年長選手でもあった元メジャーリーガー・斎藤隆、入団以来長らく先発陣の一角を担ってきた永井怜などがこのシーズンを以って引退。, シーズン終了後の10月8日、大久保の後任として近鉄・日本ハムの監督を歴任した梨田昌孝の監督就任を発表[96][97]。, 2015年シーズンは「チームとフロントの一体化」であるとしてオーナーである三木谷がスタメン、打順、さらには一・二軍の入れ替えなどを指示することが多かった。しかしシーズン後半には現場の意見も取り入れるようになってきてそれをオーナーが決裁を出す形となった。オーナーの現場介入は打撃コーチである田代富雄がこれを許せないとしてシーズン途中で退団するなど批判の声があがっている[98]。, 2年続けて最下位に陥るほどの低迷から脱却するために大型補強を敢行した。ここ2年固定できなかった三塁手を補強すべく、千葉ロッテマリーンズからFA権の行使を宣言していた今江敏晃と契約した。また、かつて広島東洋カープの主力打者だった山形県出身の栗原健太内野手、千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けていた川本良平捕手、中日ドラゴンズを退団した山内壮馬・福岡ソフトバンクホークスを退団した金無英両投手を入団テスト経由で契約。外国人投手では、先発・リリーフ両方に対応できるラダメス・リズやジェイク・ブリガムを獲得したほか、WBSCプレミア12の台湾代表に選出された宋家豪と育成選手契約を結んだ。さらに、メキシカンリーグ二冠王のジャフェット・アマダー内野手と、MLB通算162本塁打の実績を誇るジョニー・ゴームズ外野手を獲得した。, 2月1日から、楽天Koboスタジアム宮城の短縮表記を「コボスタ宮城」から「Koboスタ宮城」に変更し、5月には社会人・大学・クラブチームと対外試合を年に30戦程度実施することを前提に、若手選手の実戦経験を増やす目的で球団内に「育成チーム」を編成した。, 公式戦では、茂木栄五郎を開幕から内野のレギュラーに抜擢するなど新人選手を積極的に起用した。ドラフト1巡目入団のオコエ瑠偉も高卒新人野手では球団史上初の開幕一軍入りを果たすと、セ・パ交流戦期間中から正中堅手に定着した。正捕手の嶋が故障で戦線を離れた5月下旬からはドラフト6巡目入団の足立祐一にスタメンマスクを託した。その一方で、新外国人のゴームズは18試合で打率1割台・本塁打1本にとどまり4月22日に一軍登録を抹消され帰国・退団したほか[99]、パ・リーグの最年長選手だったレイも成績不振を理由に退団した。オープン戦の序盤に負傷したアマダーは5月下旬に公式戦デビューを果たしたものの、以降も再三にわたって故障で戦列を離れた。さらに今江・銀次・松井稼頭央などの主力打者も故障や打撃不振などで一軍と二軍を往復した。このため、7月には球団史上初めてのキューバ出身選手としてフェリックス・ペレス、シアトル・マリナーズ時代にイチローとチームメイトだったカルロス・ペゲーロ(いずれも左打ちの外野手)を相次いで獲得した。, 序盤に一時首位に立つも、その後順位は急降下し4位に沈んだ。交流戦では11勝7敗の4位と健闘したが、リーグ戦の再開後はソフトバンク・日本ハム・ロッテの後塵を拝する状況が続いた。終盤には順位で西武にも抜かれ5位に転落した。9月29日のオリックス戦に勝利したことでオリックスの最下位が確定したため、チームは3年振りに最下位を脱出し[100]5位でシーズンを終えた。西武に対しては、球団史上初めてシーズンの勝ち越しを果たした。, シーズン終了後には、球団創設時から楽天に所属している最後の現役選手であった近鉄出身の牧田明久や、2007年の大学・社会人ドラフト会議1巡目指名で入団した長谷部康平、後藤光尊、栗原、川本、山内などが現役を引退した。外国人選手では、リズ、ブリガム、ペレスが相次いで退団したほか、前年の故障からセットアッパーとして復活したミコライオとの残留交渉が不調に終わった(後に退団)。, 前年10月31日付で楽天が宮城球場の命名権に関する3年契約を締結したことに伴って、1月1日付で本拠地の呼称を「Koboパーク宮城」に変更した。同月16日には、星野球団副会長が監督時代の実績を買われて野球殿堂顕彰者(エキスパート部門)に選ばれている。, 外国人選手については、ウィーラー・アマダー・ペゲーロが揃って残留する一方で新たにフランク・ハーマン投手と契約を結んだ。レギュラーシーズン中の6月には、BCリーグの富山サンダーバーズからジョシュ・コラレス投手を獲得している。日本人選手では、西武からFA権の行使を宣言していた仙台市出身の岸孝之投手やソフトバンクからのコーチ就任要請を固辞して退団した青森県出身の細川亨捕手と契約。ドラフト会議では、1巡目の藤平尚真をはじめ支配下登録選手としての指名を経て入団した10人中9人を投手が占めた。さらに、一軍を経験していなかった柿澤貴裕外野手との交換トレードで、巨人から小山雄輝投手が移籍した。春季キャンプ中には、前年10月にDeNAから戦力外通告を受けていた元・巨人の久保裕也投手を、入団テスト経由で獲得している。, その一方で、レギュラーシーズンの開始前に催された2017 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には、則本と松井裕樹が日本代表、アマダーがメキシコ代表として出場し、当初は嶋も日本代表に選ばれていたが、春季キャンプから右ふくらはぎの張りで調整が遅れたため本大会の直前に出場を辞退した。さらに則本は、WBC出場の影響で入団以来初めて開幕投手を外れた。, 公式戦では、ウィーラー・アマダー・ペゲーロを同時にスタメンへ起用することを前提に1番に茂木・2番にペゲーロ・5番に銀次を据えた攻撃型の打線でスタートした。開幕投手には、岸が内定していたが開幕直前にインフルエンザB型へ感染したため、対戦相手であるオリックスとの相性の良い美馬学が初めて起用された。また、新人投手の森原康平・高梨雄平・菅原秀が中継ぎ要員として揃って開幕一軍入りを果たした。このような状況で開幕を迎えたにもかかわらず、開幕戦からの4連勝でスタートダッシュに成功する。パ・リーグの首位に立つと、4月を16勝5敗の勝率.761、5月を16勝7敗の勝率.696で終えた。この間には3連敗が1度もなかった。さらに則本は4月19日の西武戦から8試合連続で2桁奪三振(NPB新記録および世界プロ野球タイ記録)を達成した。 梨田監督の辞任を受けて、6月17日の対阪神戦(楽天生命パーク)から一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任した。38歳での一軍監督代行就任は、歴代の一軍監督および代行経験者を含めても球団最年少であった。また、楽天生え抜きの人物がそのまま一軍を指揮するのは監督代行としての平石が初めてである。, チームでは、梨田の監督辞任と平石の監督代行就任に伴って一軍コーチ陣の配置転換も実施された。投手コーチではベンチ担当(佐藤義則)とブルペン担当(森山良二)の配置を入れ替えた。また、2018年5月の一軍復帰後から一塁ベースコーチを務めていた真喜志一軍内野守備走塁コーチがヘッドコーチ格で平石監督代行をサポート。この年から一軍戦略・内野コーチが務めていた塩川が、一塁のベースコーチに回っている(平石以外の首脳陣は肩書を変更せず)。, 平石の監督代行就任後は、交流戦の残り2試合に全勝。交流戦開幕投手の古川も、6月19日の最終戦(横浜での対横浜DeNA戦)で白星を挙げたことによって、交流戦を一軍公式戦初勝利からの3連勝で締めくくった。しかし、チームは交流戦を最下位(全18試合で6勝12敗)という成績で終了した。リーグ戦の再開直後には、パ・リーグの球団で唯一勝率が5割を下回る事態に見舞われたものの、6月29日には菊池が先発した対西武戦(メットライフドーム)に15 - 1というスコアで大勝。レギュラーシーズンでは2016年5月25日から続いていた菊池の先発試合での連敗を13で食い止めた。, 7月には、山形市総合スポーツセンター野球場(きらやかスタジアム)で初めてのNPB一軍公式戦として、10日の対オリックス戦を主催。前年まで他球場で実施されていた山形県内での一軍主催公式戦8試合目にして、初勝利を挙げた。また、オールスターゲームでは、岸が選手間投票1位、平石の監督代行就任を境に4番打者へ定着した今江が監督推薦でパシフィック・リーグ選抜チームに参加。前年のレギュラーシーズン3位を受けて梨田が務める予定だった同チームのコーチを平石が引き継いだほか、14日の第2戦(リブワーク藤崎台球場)には岸が同チームの先発投手として登板した。9月1日には、星野副会長の逝去以降事実上空席だった編成部門のトップとして石井一久が球団取締役ゼネラルマネジャー(GM)に就任。10月5日の対ロッテ戦(楽天生命パーク)の前に、平石監督代行が2019年シーズンから一軍監督へ正式に就任することを発表した。しかし、この試合に敗れたことで、5位ロッテと1ゲーム差まで詰めたがチーム3年振りの最下位が確定した。オリックスとロッテには勝ち越しており、西武戦(6勝19敗)と交流戦(6勝12敗)で大きく負け越したことが響くことになった。, なお、この年のチームは梨田の監督在任中からホームゲームにとりわけ弱く、シーズン通算で球団最多の50敗を記録。地方開催分を含むホームゲーム(72試合)の通算勝率は.306(22勝50敗)だが、本拠地・楽天生命パークの開催分では69試合で.290(20勝49敗)にとどまった。パ・リーグに加盟する球団で、本拠地開催分の一軍公式戦におけるレギュラーシーズンの通算勝率が3割を切った事例は、1961年の近鉄(日生球場で.267=16勝44敗)以来57年振り。セ・リーグを含めても、1965年のサンケイスワローズ(神宮球場で.292)以来の低さであった。その一方で、ビジターゲーム(通算71試合)では36勝32敗3分と勝ち越している[110]。, 投手陣では、則本が5年連続5回目のリーグ最多奪三振を記録。さらに、チームのシーズン最終戦であった10月13日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)に救援登板でシーズン10勝目を挙げたことによって、入団以来6年連続のシーズン2桁勝利(NPB史上4人目の記録)を達成した。また、岸がチーム最多の11勝を挙げるとともに、防御率2.72でリーグ最優秀防御率のタイトルを初めて獲得した。松井裕樹は自身の不調やチーム事情からシーズン中にセットアッパーや先発への転向を経験しつつも、9月16日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)で一軍公式戦通算100セーブを史上最年少(22歳10ヶ月)で達成した。さらに、入団2年目の高梨が球団最多記録のシーズン70試合登板を記録した。野手陣では、高梨と同期入団(2年目)ながら、パ・リーグ新人王の選考資格を残していた田中和基がセ・パ交流戦の直前から正中堅手に定着。チーム生え抜きの野手としては歴代最多の一軍公式戦シーズン18本塁打を記録したことや、パ・リーグの最終規定打席に到達したことを背景に、スイッチヒッターとしてはリーグ史上初(チームからは田中将大・則本に次いで3人目)の新人王に選ばれた。後半戦に一軍へ定着した内田も、高卒の生え抜き野手および、生え抜きの右打者としては初めての2桁本塁打(12本塁打)を放っている。もっとも、前年のチームの躍進を支えた外国人野手は総じて低調。アマダーは7月だけで11本塁打を記録したが、NPBから禁止薬物摂取の嫌疑を掛けられた影響で、8月中旬以降実戦から遠ざかった。さらに、新加入のディクソンも、その穴を埋めるまでの活躍に至らなかった。, シーズン終了後には、二軍を中心に、コーチ陣の大幅な入れ替えを敢行。シーズン中に二軍投手コーチを務めた与田剛が古巣・中日の一軍監督に転身したほか、二軍監督として田中のブレイクに寄与した池山、二軍ヘッドコーチの大石知宜などが契約の更新を見送られた[111]。その一方で、この年に他球団で現役を引退した平石と同世代の小谷野栄一・後藤武敏が打撃コーチへ就任するとともに、石井GMが現役投手時代に所属していたヤクルト出身の指導者(伊藤智仁・三木肇・楽天のOBでもある野村克則)などを招聘。2016年1月の現役引退後に球団職員へ転じていた元・選手会長の鉄平が、二軍外野守備走塁コーチとして現場復帰を果たした。他球団との指名重複による抽選が相次いだドラフト会議の1巡目では、2回目に指名した辰己涼介(立命館大学)への独占交渉権を4球団競合の末に獲得。結局、辰己や則本の実弟(則本佳樹)など(育成選手契約者を含めて)10人もの新人選手が入団した。その一方で、聖澤諒・枡田慎太郎・伊志嶺忠が戦力外通告を受けたことを機に現役を引退[112]。球団からコーチへの就任を打診されていた細川や、育成選手契約で戦力外通告を受けた宮川将は、いずれも他球団で現役生活を続けることになった(細川はロッテ、宮川は前年の片山に続いてコーチ兼任で埼玉武蔵ヒートベアーズへ入団)。さらに、この年限りでマリナーズを退団した岩隈に復帰を打診したが、巨人との争奪戦に敗れた。, チームスローガンは、「RESTART! 日本一の東北へ」。本拠地の楽天生命パーク宮城では、一・二軍の主催公式戦開催日に、場内の売店・チケットカウンターでの決済を現金以外の手段に統一する(プロ野球球団の本拠地球場では世界初の「完全キャッシュレス化」)。また、前年まで私設応援団が作曲していた応援歌に著作権上の問題が生じたことから、球団と私設応援団の間で応援歌の扱いを協議。上記の問題が解決された応援歌に限って、前年からの継続使用が認められた[113]。, 補強面では、前年のパ・リーグ打点王で、シーズン終了後に西武から国内FA権の行使を表明していた浅村栄斗を獲得した。また、仙台育英高校やヤクルトで剛速球投手として活躍していた由規を、育成選手として契約(7月28日付で支配下選手登録)。由規とは高校での1年後輩に当たる橋本到が巨人との金銭トレード、広島の福井優也が菊池保則との交換トレードで入団した。外国人選手については、ウィーラー以外の外国人野手とコラレスが退団。その一方で、右投手のアラン・ブセニッツや、右の長距離打者ジャバリ・ブラッシュを獲得した。育成面では、三軍の創設を視野に、実戦経験を増やしながら若手選手の育成や故障者の復帰を促す環境を整備することを石井GMが計画。シーズン中の6月には、この年に支配下登録選手から育成選手に移行させた下妻貴寛捕手と野元浩輝投手を、1ヶ月限定ながらBCリーグの武蔵球団へ派遣した[114]。, 春季キャンプでは、ルイス・ヒメネス内野手が入団テストに参加。テストへの合格後に育成契約を締結したうえで、3月のオープン戦期間中に支配下選手として登録した。キャンプ終了後の3月上旬には、チームが台湾でLamigoモンキーズ(中華職業棒球大聯盟に加盟するプロ野球球団)との2連戦に臨んだ。, その一方で、この年から正式に捕手へ復帰した岡島が春季キャンプ中に左肩、球団との間で7年契約を結んだ則本昂大が3月中旬に右肘の手術を受けた。則本昂大についてはレギュラーシーズン中の実戦復帰が難しい状況にあったため、DeNAの右投手・熊原健人(仙台大学出身)を開幕の直前に濱矢廣大との交換トレードで獲得した。岸が移籍後初めて開幕投手を務めたが怪我をして長期離脱になるなど、先発投手が足りなくなるアクシデントがあったが、それでも一軍は、38歳の平石による指揮の下で開幕ダッシュに成功。開幕11試合目に当たる4月29日の対西武戦(メットライフドーム)では、シーズン初の単独首位に立った。公式戦の開幕から10試合以上経過した時点での単独首位は、チームとしては2017年8月14日以来2シーズン振り、NPB球団の30代監督としては1981年の武上四郎(ヤクルトスワローズ)以来38年ぶり、パ・リーグ球団の30代監督としては1976年の上田利治(阪急ブレーブス、いずれも当時39歳)以来43年ぶりであった[115]。さらに、4月20日の対オリックス戦(楽天生命パーク)に勝利したことによって、一軍公式戦における球団通算900勝を達成した[116]。, 5月には、8日の対ソフトバンク戦で球団史上初めて、最大7点差からの逆転勝利をマーク。15日の対日本ハム戦(いずれも楽天生命パーク)でも、4回裏まで0 - 8のスコアで大差を付けられながら、延長11回の末に9 - 8のスコアで逆転サヨナラ勝利を収めた。パ・リーグの公式戦において、同じ月に同じ球団が7点以上のビハインドからの逆転勝利を2度以上記録した事例は、この月の楽天が初めてである[117]。, パ・リーグの首位で迎えたセ・パ交流戦では、6月15日の対広島戦(楽天生命パーク)で1試合7本塁打のチーム新記録を達成[118]。NPBの一軍公式戦では初めて、外野のスタメンを新人の3選手(辰己涼介・渡邊佳明・小郷裕哉)だけで賄う[119]などの積極的な采配も背景に、前年から一転して勝ち越し(10勝8敗)で終えた。しかし、交流戦優勝のソフトバンクにリーグ首位の座を明け渡すと、交流戦の終盤からリーグ戦再開後の7月上旬まで10連敗を喫した。, リーグ戦再開後に右の長距離打者を補強するため下水流昂を三好匠との交換トレードで広島から、和田恋を古川侑利との交換トレードで巨人から相次いで獲得。7月9日の対オリックス戦(山形)では、則本昂大が先発投手としてシーズン初登板を果たすとともに、交流戦終盤からのチームの連敗を10で阻止した。一軍は、8月に「月間4度の5時間試合」というNPBのチーム記録を達成するほど熱戦を続けた末に、ロッテとの3位争いを僅差で制して2年振りにクライマックスシリーズへ進出。二軍も、三木新監督の下で、球団史上初めてのイースタン・リーグ優勝を果たした。なお、8月31日の同リーグ・対西武戦では、当時二軍で調整中だったオコエが(一軍を含めて)球団史上初の公式戦サイクルヒットを達成している。, 一軍のレギュラーシーズンでは、則本昂大が後半戦だけで5勝を挙げたものの、入団1年目から続けていたシーズン2桁勝利が6年でストップ。開幕投手の岸も故障が相次いだ影響で3勝にとどまったが、前年に一時育成契約を結んでいた入団4年目の石橋良太が先発陣へ定着すると、美馬と並んで8勝を記録した。しかしチーム内に2桁勝利を挙げた投手はおらず、最も多く白星を稼いだ投手は、シーズンの大半で先発陣の一角を担った辛島航(9勝)であった。救援陣では、クローザーへ返り咲いた松井裕樹がパ・リーグおよび自己最多の38セーブをマーク。また、シーズン中に右肩の手術を受けた福山に代わって、ブセニッツと森原がセットアッパーとして好成績を残した。打撃陣では、ブラッシュがチームの外国人選手としては歴代最多のシーズン33本塁打を放ったほか、浅村も西武時代の前年に続いて本塁打を30本台(33本)に乗せた。, クライマックスシリーズ(CS)では、レギュラーシーズンを2位で終えていたソフトバンクとのファーストステージに先勝。第2戦からの2連敗でファイナルステージへの進出には至らなかったものの、この試合からポストシーズン10連勝で日本シリーズ3連覇を成し遂げたソフトバンクに、ポストシーズン唯一の黒星を付けた。もっとも、ソフトバンクに対しては、二軍もファーム日本選手権で後塵を拝している。, 新人選手時代の創設初年度から15シーズン連続で現場に携わっていた平石は、歴代の一軍監督で初めて、正式就任1年目でレギュラーシーズンのチーム最終勝率を5割以上に乗せた。しかし球団は、一軍がCSのファーストステージで敗退した直後に、二軍監督の三木が平石に代わって一軍監督へ就任することを発表した。平石の監督退任は契約期間(1年)の満了に伴う決定でもあったが、発表に際しては、「決定に至った経緯や、今後のチームに求められるビジョンをまとめた文書をGMの石井が公開する」という異例の対応も為された[120]。また、小谷野・森山・佐藤義則・高須のコーチ契約を解除したほか、宮城県内の高校出身の選手(橋本・今野龍太・西巻賢二)などに自由契約を通告。福山、燿飛、前年に開幕ローテーションの一角を担っていた池田隆英などが育成契約へ移行した。, 球団では、「二軍のGM」に相当する役職(二軍統括)を新設したうえで、同職の就任を平石に要請することも計画していた。しかし、平石は自身の意向で退団した[121]後に、ソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチへ転身。さらに、平石を支えたコーチや、球団生え抜きの選手がチームを離れる事態も相次いだ。今野および、今江と同じく故障の影響で出場機会が減っていた嶋はヤクルトへ移籍。コーチ陣からは、森山がソフトバンク、小谷野がオリックス、二軍打撃コーチの栗原が中日のコーチへ転じている。, ドラフト会議では、1巡目で最初に指名した佐々木朗希(岩手県立大船渡高校投手)の独占交渉権を4球団競合の末に逃したものの、再指名で小深田大翔(大阪ガス内野手)の交渉権を獲得。育成選手契約者を含めて、11人もの新人選手が入団した。その一方で、今江、橋本、球団生え抜きの戸村健次・西宮悠介両投手が現役を引退。今江は育成コーチ、戸村と西宮は打撃投手として球団に残った。, 前年に二軍で三木を支えたコーチ陣から、野村克則・鉄平・小山・塩川が一軍へ異動。与田の下で中日の一軍内野守備走塁コーチを務めていた奈良原浩を二軍監督、前年に現役を引退したばかりの館山昌平をヤクルトから二軍投手コーチ、地元・東北学院大学出身の星孝典を西武から二軍バッテリーコーチに招聘した。また、開幕前からの故障でシーズンの中盤以降を棒に振ったチーム最年長選手の渡辺直人を、球団史上初の選手兼任コーチ(内野手兼一軍打撃コーチ)へ起用。永井と牧田が現役引退後初めて二軍のコーチとして現場に復帰したほか、前年までロッテ球団の特別職(スペシャルアシスタント)に就いていた同球団OBの大村三郎を、二軍統括職に相当する役職(ファームディレクター)に迎えた[122]。, 補強面では、前年の11月中旬から1ヶ月ほどの間に、ロッテから楽天へ3名、楽天からロッテへ4名の選手が交換トレードを介さずに移籍した。楽天からは、美馬が国内FA権の行使によって移籍したことを皮切りに、球団から育成契約への移行を打診されていた西巻と、外国人枠(一軍へ同時に登録できる外国人選手を4名までに限るNPBの規定)などとの兼ね合いで自由契約になっていたハーマンもロッテへ移った。ロッテからは、FA権を行使することを表明していた鈴木大地内野手を獲得したほか、西武時代から主に先発投手として活躍してきた涌井秀章が金銭トレードで移籍。鈴木の獲得に伴う人的補償(プロテクト枠から外れた保有選手1名の譲渡)措置で小野郁が移籍する一方で、美馬のロッテ入団に伴う同措置で酒居知史が加入した。楽天から人的補償措置で他球団へ移籍した選手は、小野が初めてである。, その一方で、前年までクローザーを務めた松井が先発に復帰することから、救援での起用に対応できる投手をMLBから補強。2018年までサンディエゴ・パドレスに所属していた元西武の牧田和久や、前年までロサンゼルス・ドジャースに所属していたジョン・トーマス・シャギワ(いずれも右投手)を獲得した。外国人野手では、ウィーラーとブラッシュが残留したことに加えて、オリックスで前年まで3シーズンにわたって打線の主軸を担ってきたステフェン・ロメロ外野手が春季キャンプ中に入団した。, 親会社の楽天は、台湾の靴メーカーLa Newが保有していたLamigoモンキーズ全株式を、前年の9月に取得[123]。2020年シーズンから、Lamigoモンキーズを楽天モンキーズに改称したうえで、東北楽天ゴールデンイーグルスとともに保有する。楽天が日本と台湾でプロ野球の球団を同じ時期に保有することについては、NPB(日本野球機構)から「日本国内における複数球団の保有を禁止している野球協約に抵触しない」との見解が出されている[124]。ちなみに、Lamigoモンキーズは最後のシーズンで前期優勝と台湾シリーズ制覇を果たしていたが、楽天モンキーズとしては最初のシーズンを前・後期総合2位で終えた。, 春季キャンプ中の2月11日には、チームの第2代監督→名誉監督で、ヤクルト監督時代に石井・伊藤智仁・三木などを育てた野村克也(克則の実父)が、虚血性心不全によって84歳で永眠。球団では、翌12日から15日まで楽天生命パークに献花台を設けるなど、野村への弔意を示している。, この年は春季キャンプの直前(1月下旬)から新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕が6月19日にまで延期。楽天野球団もその影響で、延期中の4月にチーム全体の活動を一時休止していた。また、NPBではレギュラーシーズンの終了時期を例年より遅い11月上旬、シーズン中における新規の選手獲得・支配下登録の期限を9月30日に設定する一方で、一軍公式戦の試合数を例年の143試合から120試合に削減。クライマックスシリーズ(CS)については、パ・リーグのみの開催で、レギュラーシーズンの優勝チームと2位チームが11月下旬の日本シリーズ進出権を争う方式に変更された。さらに、一軍の公式戦で同時にベンチへ入れる外国人選手の上限を4名に据え置く一方で、外国人枠の上限を5名に拡大。(日本人選手を含めた)出場登録選手総数の上限も29名から31名、同時にベンチ入りが可能な選手総数の上限も25名から26名に増やした。また、楽天では一軍の主催公式戦を、本拠地の楽天生命パークでのみ実施している。, レギュラーシーズンに入ってからは、鈴木大地・ロメロ・小深田が加わった打線がチームの開幕ダッシュに大きく貢献。新人選手からは、小深田に加えて、慶應義塾大学から入団した津留﨑大成投手も開幕から長らく一軍の救援陣に入っていた。その一方で、チーム事情などから開幕一軍入りを逃していたウィーラーが6月25日に左投手・池田駿との交換、高梨が7月14日に右投手・高田萌生との交換によって巨人に相次いで移籍。逆に、シーズン特例による新規契約期限の前日(9月29日)には、巨人から田中貴也捕手を金銭トレードで獲得している。, 一軍はレギュラーシーズンの前半まで、ソフトバンク・ロッテとの三つ巴で首位争いを展開。7月21日の対オリックス戦では、8回表の途中から中断した末に、濃霧によるコールドゲームが成立した(NPBの一軍公式戦では20年振り5回目)。さらに、9月10日の対ソフトバンク戦(18:00開始)は、雨天による2度の中断をはさんで23:38に終了。中断時間の合計は1時間32分(1回目37分・2回目55分)で、パ・リーグの公式戦では史上8番目の長さ(1970年以降の公式戦では最長)だった[125]。もっとも、先発陣では松井と岸、救援陣ではシャギワが不振。ブラッシュおよび、松井に代わるクローザーとして開幕から好投を続けていた森原は故障、開幕から涌井と共に先発陣を支えてきた則本昂大は試合中のアクシデント(転倒による右手の負傷)で戦線を離脱した(則本は9月から復帰)。このような事態が続いた影響で、8月下旬に3位へ転落してからは失速。開幕からコーチ職に事実上専念していた渡辺直人が現役引退を表明した9月には、この年に広島へ入団したばかりのD.J.ジョンソン投手を金銭トレードで獲得したほか、福山を支配下登録選手に復帰させた。ジョンソンが移籍後、福山が支配下復帰後初めて登板した同月22日の対ロッテ戦で、一軍公式戦における球団通算1000勝を達成[126]。シーズン終盤の10月以降は松井も救援要員に戻す一方で、先発で6試合に登板した岸が、5勝無敗という好成績で10・11月のリーグ投手部門の月間MVPを獲得した。しかし、一軍では逆転負けがNPB全球団で最も多い32試合に達したあげく、シーズンを4位で終えた。, NPB他球団でのプレーを経験している移籍組はおおむね好調で、鈴木大地が打率.295(パ・リーグの最終規定打席到達者としては5位)、ロメロが24本塁打、牧田和久が登板52試合(チーム最多およびリーグ3位の登板数)で防御率2.16をマーク。涌井はとりわけ好調で、シーズン初登板からの先発8連勝(プロ入り後自身最長)、2桁勝利(最初に入団した西武・移籍元のロッテ時代に続いて3球団目、パ・リーグ3球団のみでの達成は史上初)、千賀滉大・石川柊太(いずれもソフトバンク)と同じ11勝ながらリーグ最多勝利(西武時代にも2回・ロッテ時代にも1回達成、3球団での達成はNPB史上初)を相次いで記録した。また、開幕から4番打者を任されてきた浅村が、32本塁打で本塁打王のタイトルを初めて獲得。シーズン中盤から茂木に代わって正遊撃手に定着した小深田は、渡辺直人が保持してきた複数安打試合の球団新人最多記録を33試合に更新したほか、最終規定打席へ到達した末にパ・リーグ6位の打率.288を記録した。さらに、二軍は奈良原の下でイースタン・リーグ2連覇を達成したばかりか、球団史上初めてファーム日本選手権を制している。, なお、レギュラーシーズン終盤の10月26日に開かれたドラフト会議の1巡目では、早稲田大学の左投手・早川隆久に対する独占交渉権を、GMの石井が他の3球団との指名重複の末に抽選で獲得(後に入団)。最終盤の11月には、チーム最年長投手の久保裕也と、楽天生え抜きの現役投手としては在籍年数が最も長かった青山が現役引退を表明(後に「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」のコーチへ転身)したほか、由規、熊原、耀飛、近藤弘樹(2017年ドラフト会議1巡目での指名を経て入団していた右投手)、2018年にソフトバンクから移籍していた山下斐紹(2010年ドラフト会議1巡目で同球団から指名された捕手)などが戦力外通告を受けた(近藤は通告後にヤクルト・山下は中日に育成選手として入団、由規は埼玉武蔵・耀飛は福島レッドホープスへ入団、熊原は現役を引退)。さらに、レギュラーシーズン終了直後の同月12日には、現場での指導歴のなかった石井がGMと一軍監督を兼務することを発表。一軍のコーチ陣から、伊藤智仁がヤクルトへ復帰、笘篠誠治が退団、野村克則が育成コーチへ異動した。, 前年に一軍を指揮していた三木が二軍監督、育成コーチの真喜志が一軍ヘッドコーチへ復帰。二軍監督の奈良原が、一軍内野守備走塁コーチへ異動した。また、前年に現役を引退した渡辺直人が一軍打撃コーチに専念するほか、久保が二軍投手コーチへ就任。さらに、ロッテ球団からの派遣扱いでBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのコーチを務めていた岡田幸文を、笘篠の後任扱いで一軍外野守備走塁コーチに招聘した。NPBの球団において、石井のようにGMが一軍監督を兼任する事例はソフトバンクの王貞治(2005 - 2008年)に次いで2人目、常勤の取締役が一軍監督を兼任する事例は福岡ダイエーホークス(ソフトバンクの前身球団)の根本陸夫(専務取締役時代の1993・1994年)に次いで2人目である[127]。その一方で、球団創設時から16年にわたって在籍してきたチーム統括本部長の安部井寛が、1月31日付で退団。2月1日付で、NPBの野球運営本部本部長補佐に着任している。, 外国人選手では、前年に在籍していたロメロがオリックスへ復帰したほか、ブラッシュ、シャギワ、D.J.ジョンソンが退団。ブラッシュは現役を退く意向を示したが、MLBからブランドン・ディクソン (内野手)、アダム・コンリー投手、ルスネイ・カスティーヨ外野手(元・野球キューバ代表)が入団した。, また、ニューヨーク・ヤンキースとの7年契約が前年11月で満了してから、再契約やMLB他球団への移籍交渉が難航していた田中将大に8年振りの復帰を打診。その結果、楽天との2年契約で合意したことや、ヤンキース在籍中に楽天野球団が「準永久欠番」として扱ってきた背番号18を再び着用することが、春季キャンプ開始の4日前(1月28日)に発表された。さらに、キャンプの終了直後には、日本ハム内野手の横尾俊建を池田隆英との交換トレードで獲得している。, 2012年まで在任。現在、プロ野球界で名誉監督の称号を贈られたのは全球団で野村克也と読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄のみである。, 親会社・楽天のイメージカラーであり、イーグルスのチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を基調としている。パンツに1本の細ラインが入っている。帽子は、えんじ色をベースに白文字の「E」。2011年からは株式会社デサントとオフィシャルプラチナスポンサー契約を締結し、ユニフォームなどのウェアを提供していた。胸に、スポンサー・アイリスオーヤマのワッペンが付く。2014年シーズンから2019年シーズンまでのサプライヤーはマジェスティック・アスレティック。2020年シーズンからはユニフォーム・アパレルはミズノ、キャップはNPB球団では初となる「'47」がオフィシャルサプライヤーとなった[129]。, 白地で、胸ロゴは鷲の翼章付き「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字があり、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークにはえんじ色の文字に黄色の縁取りが施されている。, 上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラーを採用。, この他、期間限定での「3rd(または4th)ユニフォーム」が下記のとおり採用されている。, 新規参入時から現在まで、宮城県が所有する宮城球場(仙台市宮城野区宮城野原公園総合運動場内)を本拠地球場とし、楽天野球団が都市公園法第5条第1項の許可(管理許可)を受けて運営している[143]。ただし、3年毎に命名権の公募がなされ、権利を取得した企業が命名する愛称が「宮城球場」より優先して用いられている。, 2020年1月21日、本拠地への入場を日本初の全面2次元バーコード化すると発表した[144]。, 本拠地球場である宮城球場の収容人員、および、レギュラーシーズンの主催試合の宮城球場以外も含んだ観客動員数と1試合平均観客数は以下の通り。パ・リーグでのレギュラーシーズンの順位も付記。この統計では観客数に加えられないポストシーズンがあった年は特記。, 楽天では初代球団オーナー・三木谷の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは制作著作の権利までを球団側が所持。, 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。, TBC製作分…解説:杉山賢人 実況:松尾武 ベンチリポーター:飯野雅人 スタンドリポーター:高以亜希子, TBS製作分…解説:佐々木主浩 ゲスト:松山英樹 実況:林正浩 ベンチリポーター:伊藤隆佑, 2015年8月9日に開局したコミュニティFM放送局[156]。愛称は「Rakuten.FM TOHOKU」(ラクテンドットエフエムトウホク)。, プロスポーツチームが直営する日本初のコミュニティ放送局となる[注釈 17]。放送区域は宮城野区の西部、楽天生命パーク宮城を中心とした区域で、区内のカバー世帯数は30.06%である。, なお、宮城野区には1999年から2007年まで、仙台市民放送(FMじょんぱ)がコミュニティFM放送を行っており、同一区内の局としては8年ぶりの復活という形となる。また同一市区内でコミュニティFM廃局後、新たに開局があったケースは、これまで廃局の周波数が割り当てられていたが、Rakuten.FM TOHOKUはFMじょんぱ(78.8MHz)から周波数が変更されており[注釈 18]全国初のケースとなっている。, 番組は毎日午前1:00を基点とした1日24時間放送[注釈 19]。イーグルスのプロ野球中継やチーム情報をはじめ、宮城野区の地域情報、観光番組、音楽番組で構成する。ほとんどの番組が自社制作であるが、fmいずみ制作の『せんだいラジオ通信』(仙台市広報番組)と『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!』はネット受けしている。, インターネット放送はRakuten.FM TOHOKU公式サイト、スマートフォンアプリ「At Eagles」、TuneIn Radioにて配信されている。, 2009年よりKスタ宮城で行われる楽天の主催試合において、対戦相手や曜日などに応じてチケットの価格を変える「フレックス・プライス」が導入されている。「フレックス・プライス」のようなチケットの価格変動制は、メジャーリーグでは複数の球団が採用しており、日本では東京ヤクルトスワローズが神宮球場での読売ジャイアンツ戦、阪神タイガース戦に限り一部席種を割高にしている例があるが、本格的な導入は楽天が初めてになる。, チケットの価格は5段階で設定されており、高い順から「プラチナ」、「クリムゾン」、「ゴールド」、「シルバー」、「バリュー」となっている[注釈 20]。, 2007年4月3日(火) - 5日(木)、フルキャストスタジアム宮城で日本ハムとの3連戦をいずれもデーゲームで開催した。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラスと東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況となった。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中の本拠地初登板もあって、約1万8千人ものファンが球場に詰め掛けた。翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火) - 3日(木)の対ロッテ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。, 2009年 から2011年は平日デーゲームは行われず。2009年はWBCのため開幕が遅く4月7日(火)がホーム開幕戦。2010年はホーム開幕戦が土曜日に設定されたため(他球場では前日の金曜にホーム開幕戦となるナイターが行われている)。2011年は当初3月29日(火) - 3月31日(木)の対ソフトバンク3連戦をデーゲームで開催する予定になっていたが、東日本大震災の影響による開幕日延期のため取り止めとなった[注釈 21]。, 2012年からは平日デーゲームが再開され、2013年以降も毎年4月初旬に平日デーゲームが2試合程度組まれるようになっている。2017年は宮城での開催に加え、郡山・ヨーク開成山スタジアムでも平日の薄暮デーゲーム開催が予定されていたが、雨天中止となっている他、夏季開催(7月27日・ソフトバンク戦)でも平日のデーゲーム開催を行った。
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