ネパール大地震:被災地歩いた11日間 取材日記
ネパール大地震の 発生3日後、東京から現地入りし、被災地を11日間取材した。
初めて訪れた「世界の最貧国の一つ」とも言われるヒマラヤの小国。貧しさゆえに地震への備え はなく、多くの人が命や財産を失った。だが、淡々と生きるネパール人の強さも印象的だった。取材日記を紹介する。【竹内良和】
◇世界各国から救援機が殺到
■4月28日(火)
地図上に自機の航路を示す座席のモニターが、幾重もの円を描く。タイ・バンコクから乗った旅客機はカトマンズに着陸できず、手前の山岳地帯の上空 で旋回を繰り返していた。日本の地方空港ほどしかない狭いカトマンズ空港に、世界各国からの救援機が殺到。混雑で定期便が着陸できない状況が続いていたの だ。
地震発生翌日の26日夜、会社から「現地入り」を命じられ、あわてて閉店間際のアウトドア用品店に駆け込み登山靴などを買い込んだ。東日本大震災の取材経験はあるものの、海外の被災地取材は初めてだ。不安を抱えながら27日午後、成田空港から出発した。
大幅遅れで到着したカトマンズ空港には「中国空軍」と書かれた輸送機が駐機し、到着ロビーには迷彩服のイスラエル軍兵士も。タクシーで街に出る と、レンガ造りの建物が倒壊し、亀裂が走ったビルが散見されるものの、東日本大震災直後の三陸沿岸のように、街全体が壊滅するような状況ではなさそうだ。
公園に被災者のテント群が見えた。がれきから集めてきた材料で作った即席テント。床は土の地面がむき出しだ。夫や娘とテント暮らしを送るマナ・マハルジャンさん(52)は「政府の支援がない。おなかもすいている」と訴えた。
慣れない英語で話を聞いていると、片言の日本語を使う男性が通訳に入ってくれた。男性は自身も被災した山岳ガイド。日本の登山客は多く、日本語を使うガイドも少なくないという。
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